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ここまで出来た 腎臓病患者の仕事(移植者編)

【第3話】大分長期出張

2013.6.19

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移植してから1年が経った1996年4月〜9月の半年間、大分県別府市にある工場へ長期出張となりました。ここは社員の60%以上が障害者の方で、当時はラジオやヌード型のヘッドフォンなどを作っている会社でした。私は入社時からこの会社へ生産管理のシステムを導入する仕事に携わっており、自分としても工場勤務をする事で、実務を勉強しながら、業務を行うという形で派遣された訳です。当時私は既に月に1度の通院ペースでOKとなっていましたので、1か月に1度は通院の為東京に戻るという条件で長期出張となりました。

この出張にあたり、まずはアパート探しです。長期の為ホテルでは割高になってしまうので、学生用家具付きアパートのようなところを紹介されました。ただし、別府の地形は海側からすぐに山となり、駅からは延々と上り坂を登るような場所でした。透析時代であれば絶対に無理だな。。。と思う坂を10分ぐらい歩いてやっと到着するのです。ちなみに隣が別府大付属別府高校で、まだ元阪神の城島が3年生でした。

次に何かあった場合の為、救急で診てもらえる病院探しです。主治医からは大分大学付属病院を紹介頂き、顔見せという事で紹介状を手に診察に行きました。おかげ様でその後は救急でお世話になる事はありませんでしたが、どの病院が移植後のケアを出来るのか?(特に救急時)などは、非常に重要な事だと思います。つい半年前まで愛知県岡崎市にも2年9ヶ月程赴任していましたが、やはり同じ事をしました。

続いて通勤ですが、これも結構悩ましい問題でした。運転免許は所持していますが、車は持っていません。そんな中、車社会の別府で電車通勤するのはやはり大変なものでした。 まず、本数が限られています。通勤の時間帯は1時間に数本はあるのですが、昼間は1時間に1本あるか無いかです。「これに乗り遅れたらもうおしまい」という非常に危ない状況で、生活するにあたり制約が多い状況でした。もちろん帰りの電車も同じです。たまに同僚が気遣ってくれて、車で送ってくれる事もありましたが、やはり毎日とはいかず、大変でした。

今回はあまり移植とは関係の無い話となってしまいましたが、最後にこの特例子会社で学んだ事を書きます。この会社は障害者雇用を推進し、設立に尽力した初代社長は「世に身心障がい者はあっても仕事に障害はありえない、身障者に保護より働く機会を」という言葉を残されています。またこの言葉に賛同した当社創立者は「障がい者の特権なしの厳しさで健丈者より優れたものを・・・」と言われています。これはこの会社の理念となっております。私はこれらの言葉に非常に感銘を受けました。そしてこの通り実行しようと心に決めて今まで頑張って来たと思っています。実はこの会社に出張する前に上司からは「この会社を支援できるのはおまえしかいないんだ!普通の人には理解できない事もある。おまえだったら理解出来るから行かせるんだ!」と飲み屋の中で言われたのです。これも私のモチベーションを高めるには十分な言葉でした。入社5年目の若造(しかも移植患者)が一人で大分に行き、業務をさせてくれる。。。この会社の為に役に立てたかどうかは、今となっては後悔する事も多いのですが、この時の経験はかけがえのないものになりました。その証拠にこの会社の外線電話番号、未だに暗記しているんです。今までいた他の部署や会社の電話番号は全く思い出せません。でもこの会社の番号だけは覚えています。そして数年後の昇進試験の論文ですが、この出張時に行った業務の事を書いて合格したのも、何かの縁だったとしか思えません。1996年10月、半年間の長期出張を終えて東京に戻って来た訳ですが、その後また新しい経験を積み重ねる事になります。(つづく)

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1967年 宮城県仙台市生まれ。小学1年生時の健康診断にて蛋白尿が出ている事が分かり、経過観察。
中学1年生で蛋白尿が+3になる。高校2年生時に腎生検を行い、巣状糸球体硬化症(FGS)と診断され、そのままステロイドのパルス治療を行うが効果がなく、経過観察を続ける。
大学3年生の時に透析導入。透析治療を受けながら就職活動を行い、電気メーカーへ就職。
3年後に母親をドナーとして生体腎移植を実施。
2008年に自己腎摘出手術を受ける。2016年8月で移植後21年となる。
新連載:「移植者からみた最近の移植事情とは?」」もご覧ください。