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ここまで出来た 腎臓病患者の仕事(移植者編)

【第4話】初めての海外出張

2013.7.16

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仕事に復帰して半年後に大分へ半年の長期出張を命ぜられ、無事?役目を終えて帰京した訳ですが、復帰1ヶ月後には、私自身初めての海外出張(海外に行くこと自体が初めて)に行く事になりました。
今思うと、この海外出張の日程がすごいハードスケジュールなんです。しかもなぜか私の上司と仲の良い人事部長も同じ日程で出張するという(仕事の中身はもちろん別)、未だに社内の一部で語り継がれる内容となりました。

まず訪問国が東南アジアの3カ国(シンガポール、インドネシア、マレーシア)。しかも1週間の日程で回ります。シンガポールはともかく、インドネシアと、マレーシアは不衛生なイメージがあり、感染症や食中毒に気をつけなければならない移植者の身からすると、一抹の不安を抱えての出張でした。
初めての訪問国はシンガポール。ここは東南アジア圏のビジネスを取りまとめている組織があり、当時海外出張者の多くが訪れている国でした。初日は夕方に到着したので、仕事はなくそのまま夕食。初めての海外で緊張している私は、宴会のおもちゃになり、もう何がなんだか分からない状態で初日は終了です。
翌日はホテルから歩いてオフィスへ。オフィスから見えるシンガポールの港が貿易立国である事を実感させてくれます。今まで何度も話に聞くだけの場所に仕事でこられる幸せを少し感じる事が出来た瞬間でした。
その翌日にシンガポールからインドネシアのジャカルタへ移動し、そのまま工場へ。ここでの心配事はやはり食事での衛生面です。社員食堂は衛生上の問題があるので心配していましたが、運良く?日本食のお弁当を手配してくれ、大きな問題もなく食べる事が出来ました(人事部長と一緒だったのが良かった?)。
夜もそれなりのレベルのレストランへ連れて行って頂き、全然問題はありませんでした! それにしても移植後1年ちょっとの患者がインドネシアとか行っていいんですかね?(当時は結構チャレンジャーのような気がする。。。。)

ジャカルタに2泊した後は、次の目的地のマレーシアはペナン島です。フライトの都合上、再度シンガポールで1泊して、翌日の早朝便でペナン島へ向かいました。
ここは現在では世界遺産の町並みとなっている「ジョージタウン」があるのですが、工場はペナン島ではなく、マレー半島側にあり、当時東洋一と言われたペナンブリッジを使っての移動になります。
当時ここにある工場は従業員1万人以上という大工場でした。その為出張者も多く、以前よりかなり人数は減ったようですが、それでも年間2万泊していたというから驚きの規模です。 やはりここでも心配事は食事です。昼食は会社の社員食堂。。。
マレーシアはイスラム圏ですから、さすがに無理。。。かと思ったら、中華圏とイスラム圏で食堂が分かれており、日本人はほとんどが中華圏の食堂へ。ここでもなんとか食べる事が出来、その後おなかの調子も大丈夫。うーん、なんとかなるもんですね。
ちなみに夜は日本食へ連れて行って頂きましたが、ある意味刺身とかは逆に怖くてあまり食べられなかった事が残念です。(笑)

さて、最終日は土曜日(移動日)という事で、フライトの時間までペナン島の観光。(人事部長はゴルフ)。お寺やバタフライファーム、バティック(ろうけつ染め)の工場などを観光してから空港に向かったのですが、ここで大事件が発生!ゴルフ組に参加していた人事部長がパスポートを紛失してしまったのです。
我々とは全然関係がないはずなのですが、念のため、一度セキュリティに通したスーツケースも開けて、紛れ込んでいないか確認までしましたが、やはりパスポートはありません。
空港で寂しい表情を浮かべ、「いいなあ、おまえら帰れて」と呟かれながら、シンガポールへ移動。日本への夜行便まで空港で時間を潰してやっと搭乗し日曜日の朝に日本到着。私の初めての海外経験は、1週間で飛行機に6回も乗せられるというハードスケジュールで終えたのでした。

そして、出張終了後におなかを壊すというおまけ付き(笑)。
人間、気が張っている時は丈夫ですが、一旦気が抜けるとこうなるんだなと思い知りました。
この経験から、上司から「こいつは海外でも大丈夫。むしろ元気なようだ」と勝手に認定され、その後毎月海外出張というハードスケジュールが続く事になります。(この時期はせいぜい1、2週間の短期出張でしたが。5年パスポートが3年でスタンプが一杯になるという間抜けな事になります。。。)

(つづく)

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1967年 宮城県仙台市生まれ。小学1年生時の健康診断にて蛋白尿が出ている事が分かり、経過観察。
中学1年生で蛋白尿が+3になる。高校2年生時に腎生検を行い、巣状糸球体硬化症(FGS)と診断され、そのままステロイドのパルス治療を行うが効果がなく、経過観察を続ける。
大学3年生の時に透析導入。透析治療を受けながら就職活動を行い、電気メーカーへ就職。
3年後に母親をドナーとして生体腎移植を実施。
2008年に自己腎摘出手術を受ける。2016年8月で移植後21年となる。
新連載:「移植者からみた最近の移植事情とは?」」もご覧ください。