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腎不全にうまれて
〜腹膜透析から移植、血液透析導入まで〜

【第1話】怒涛の3年間

2015.9.3

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私は1991年5月に岩手県で生まれました。折しもじんラボ研究員のよしいなをきさんが慢性腎炎と診断された時期に重なります。これもなにかの縁かもしれません。

生後約1週間の時、先天的なネフローゼ症候群の疑いがあると言われました。生まれた時は普通の体重だったのが1週間で異常に増えたため、どうやらこの子はネフローゼ症候群らしいということになったのだそうです(原因はいまだ不明ですがDNAの異常ではないかとのことです)。

この段階で母は、子供が病気を持って生まれてきたことにショックを受けたものの、病名からはどんな病気か想像がつかずあまり重大な病気だとは思わなかったそうです。

生まれた病院ではお手上げだったため盛岡のI医大に転院となりました。I医大では2才半で移植をするまでの間、腹膜透析をしていました。母は腹膜透析をし続けないと生きられないということを知り、やっと本当に大変な病気だと分かったのだそうです。

一方、私自身は体の成長はゆっくりでしたが口の方は達者だったようです。看護師さんに悪知恵を授けられ、お医者さんに「チビ、ハゲ、デブ」と言ってみたり、疑問に思ったことはなんでも「なんで? 」と聞くので『なんでガール』というあだなを付けられたり…。なかなか賑やかな入院生活を送っていたようです。


毎日腹膜透析を受ける生活に転機が訪れたのは2才半の時でした。東京の医大(T医大)で移植を受ける機会に恵まれたのです。

T医大は当時つてやつながりがないと入院できない病院でしたが、たまたまI医大出身の先生がいて、I医大の若い先生がその先生に私のことを相談したのがきっかけで移植を受けられることになったのでした。

話はとんとん拍子に進み、私は生体腎移植を受けることになりました。私はB型、母以外の家族はO型だったため、同じB型の母からの移植です。移植した翌日、拒絶反応がみられたため、もう一度お腹を開いて腎臓に薬を塗ったそうです。その後は拒絶反応もなく今に至ります。

ここで、めでたしめでたしといかないのが人生なのかもしれません。

無事移植が成功し、穏やかな生活を送っていた私にまた試練が訪れます。3才を間近に控えた1994年3月、小児の腎臓がんであるウイルムス腫瘍が見つかったのです。お腹に張りがあったのと熱が出たのでおかしいと思って診てもらったところ、がんであることが分かりました。幸い移植腎ではない腎臓のがんだったため、千葉県のこども病院で摘出手術を受けました。

最近自分で調べて知ったのですがウイルムス腫瘍は遺伝子異常が原因の場合が多く、肺などに転移する可能性が高いがんだそうです。これまた幸いなことに現在までどこにも転移なく、生活することができています。

なんとなくこのころから物心がつき、オレンジ色のまずい薬を飲まされたとか、病室にサンタクロースが来てくれたとかうっすらと記憶があります。とはいえ、この当時の話のほとんどは、私が物心つく前の話のため親に話を聞きながら書きました。


書いていて改めて思ったのはいろいろな偶然に助けられてきたなということです。T医大に相談されていなければずっと腹膜透析だったかも知れないし、母の腎臓が適合しなければ献腎移植を待つ人生になっていたかも知れません。医療制度、社会制度が整った国、時代に生まれてきたことも大きかったと思います。

偶然にもこのような体で生まれ、またさまざまな偶然に助けられた私のその後については次回書きたいと思います。

次回をお楽しみに♪

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びょん

びょん

1991年岩手県生まれ。岩手県在住。生まれてまもなく先天性ネフローゼ症候群と診断され腹膜透析治療を開始し、2才半の時に母より生体腎移植を受けました。1994年春、左腎に腫瘍が見つかり(ウイルムス腫瘍)、摘出しました。23歳から血液透析導入になり現在に至ります。特技はパソコンのキーボードのタイピング。運動は苦手、読書が好きなインドア派ですが、最近の休日は腎友会青年部の仲間といろいろなところへ出かけることが多いです。透析は火曜コースの午後です。今の目標は一人暮らしできるようになることです。