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多発性嚢胞腎体験記

【第2話】闘病 — くも膜下出血のリハビリと保存期

2015.9.10

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第1話『闘病開始—くも膜下出血編』でもお話したように私の闘病はくも膜下出血が先で、後から多発性嚢胞腎(ADPKD)が分かったために普通の方と少し異なる保存期の始まりでした。今回の闘病記は保存期と同時に行ったくも膜下出血のリハビリの経験と、大多数のADPKD患者の闘病開始である保存期の経験を紹介します。


くも膜下出血後のリハビリ

私のくも膜下出血手術は執刀医から「3割は死亡、3割は寝たきり、3割は左半身麻痺、1割がリハビリしたら障害無く普通の生活」と言われましたが、運良く生還できて障害も無くリハビリをして普通の生活を送ってます。

退院後のリハビリでは、会社の仕事では全く役に立っていなかった体育学科で履修した運動生理学、栄養学、各種体操が役立ち、このリハビリのプログラムは全て自分で作りました。術後は左半身全部が麻痺していたので静的ストレッチ(筋肉に蓄積した老廃物を排出することを目的に、関節などの可動域ギリギリまで数十秒伸ばすストレッチのこと)と動的ストレッチ(腕や足などを中心にいろいろな方向に動かすウォーミングアップのこと)で最初の1ヶ月は筋肉をほぐし続け、少し動けるようになったら筋トレ・歩行訓練・箸で物を掴む練習などを加え、リハビリの量を少しずつ増やし毎日半年間続けました。 くも膜下出血のグレードは3で病状としては軽めでしたが、破裂した場所はクリップが止め難い場所で手術の時に血流を止めた時間が長かったことから、左半身が思いのほか動かず、回復に半年と時間がかかりました。補助なしで二足歩行ができるまでに3ヶ月、信号が変わるまでに横断歩道を渡り切れるようになるまで5ヶ月かかりました。横断歩道は何度挑戦しても時間内に渡れなかったので、手術後初めて横断歩道が渡り切れた時は、大学生の時(1986年)に全日本バレーボール大学選手権大会で日本一になった時より嬉しかったです。

横断歩道を渡れるようになると、自信がついてあちこち動き回れるようになりました。その後はリハビリを兼ねてスーパーの中を徘徊する日々を経て、日常生活で困らない動きができることを確認したので、リハビリ開始後半年で何とか職場復帰しました。

リハビリは何とか半年で終えましたが、くも膜下出血の後遺症として体が冷えた時や気圧の変化がある時などは、今でも左半身が強張り動きが悪くなるのでほぼ毎日ストレッチして日々の生活を送ってます。


ADPKD保存期

リハビリが自分にとって一番辛くて思い入れのある闘病なので長くなりましたが、ここからADPKDの保存期の体験談です。

ADPKDと言っても基本的な保存期の生活は、水をたくさん飲むこと以外は他の慢性腎臓病(CKD)と同じです。基本は食事制限で現在は透析に合わせた食事をしていますが、保存期の時は低蛋白、減塩の食事制限でした。調理のアルバイトを2年していたことと、大学で栄養学を履修していたおかげで食事を作ることは割と苦になりませんでした。「ADPKD患者は嚢胞が大きくなり食べる量が減る」と言われましたが、16年間経過した今でも食欲は落ちず、特に保存期では食欲との戦いが大変でした。

保存期の飲食で気を付けたのは、蛋白質以外では食事の量とカロリーを摂取すること、塩分の制限、毎日水分を2L以上飲むことでした。具体的には下記のことに気を付けていました。

蛋白質の摂取を減らし満腹感を得るためにくずきり、春雨、心太(ところてん)、こんにゃく、白滝などでボリュームアップ

塩分摂取量を減らすため、次のような調味料などを活用

・辛味
唐辛子、山葵、からし、豆板醤、柚子胡椒
・酸味
酢、バルサミコ、レモン
・香辛料
胡椒、コリアンダー、ターメリック、クミン、カイエンペッパー、グローブ
・旨み
グルタミンソーダ、鶏ガラスープ、昆布
・油脂
バター、ごま油、オリーブ油

それから醤油は食材に直接かけたりせずに、スプレー式の容器を使い食材の表面に噴霧して使用料を減らしていました。

水分2Lの補給は、一気には飲めないのでこまめに少量ずつ飲む癖をつけました。透析患者さんは既にお分かりだと思いますが、この保存期につけたこまめに水を飲む癖が、透析導入になった時にめっちゃ苦しむことになるとはこの頃はゆめゆめ疑うことはありませんでした。

他に次の4点について心がけるよう、主治医からは口が酸っぱくなるほど言われました。

  • 薬による血圧管理(薬の飲み忘れ防止と減塩)
  • 脱水に注意(適切な飲水)
  • 偏りの無い食事(栄養管理)
  • 大量の珈琲摂取は厳禁(嚢胞腎の進行の抑制)

まとめとして

リハビリは、くも膜下出血から運良く生き残って初めてできることです。ですからリハビリの話は参考程度にして、まずはくも膜下出血にならない方法を考えましょう。自分のように早くして脳動脈瘤が大きくなる場合は稀ですので、主治医とよく相談して定期的に脳のCTもしくはMRIを受けてくも膜下出血の予防に努めてることをお勧めします。

保存期の人に会う機会がありますが、主治医から血液透析になったら世の中が終わるように言われてる人が多いと感じます。一部は当てはまりますが、もちろんそれが全てではありません。確かに血液透析は週3回、1回あたり4〜5時間拘束されることは難点ですが、世の中は終わらず自分の場合は会社の理解もあり働きながら夜間透析を受けて、年2・3回の東京遠征も含め趣味の競馬を毎週楽しんでます。

血液透析もくも膜下出血も必要以上に怖がる必要はありませんが、血液透析は長い時間拘束されるので透析治療を始めたら自分のやりたいことができなくなることがあるのも事実です。近年はADPKDの治療薬「サムスカ」もあり、透析導入を遅らせることもできるようになっています。食事制限は確かに大変ですが、保存期ができるだけ長く続くことを期待して今回の話の結びとします。

次回は、私の透析のことを紹介したいと思います。

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関矢武明

関矢武明

1999年3月21日の春分の日にくも膜下出血の一次破裂が分からず入院。精密検査で大騒ぎ中の腹部エコーで多発性嚢胞腎が発見されそれ以来闘病しています。
多発性嚢胞腎は遺伝の場合が大多数ですが、私の周りの親族には多発性嚢胞腎患者が存在せず、くも膜下出血と多発性嚢胞腎が分かるのに時間がかかり、発見がもう1日遅かったら死んでいたと言われました。
多発性嚢胞腎の保存期は2005年の2月3日までの約6年間で、嚢胞感染のため腎機能が一気に低下し2005年2月4日より血液透析導入しました。今年で透析歴10年が経過しました。
現在日中はサラリーマンをしていて、月水金の夜間透析をしながら闘病生活を送っています。