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元看護師の私とIgA腎症

【第1話】IgA腎症と診断されるまで

2024.1.22

文:うめちゃん

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イメージ 看護専門学校時代、同級生たちと

長崎市生まれ。看護師として総合病院で働いた後、地方公務員に転職。家事と3人の子供の育児との両立に努めていた2012年、IgA腎症と診断されました。扁桃腺摘出・ステロイドパルス療法を受け、現在は寛解状態を維持しています。2023年「腎臓病療養指導士」の資格を取得し、患者として看護師として、いろんな思いを形にする方法を模索中。そんな私の体験談です。


看護師から、家庭との両立を目指して公務員へ

幼少期、母親の入院をきっかけに赤十字看護師に憧れ、高校卒業後は迷わず看護専門学校へ進学した私。当時は看護大学が全国的にも少なく、看護師になるためには専門学校または看護短大へ進学するのが主流でした。
昔の看護学校は全寮制で、今では笑い話になるほど厳しい教育課程でした。赤十字病院に併設された学校の病棟実習は、充実しつつも厳しいものでした。実習が難しいと言われる手術室や精神科病棟も全部実習を受けられましたが、なぜか透析室の実習だけはなかったことを覚えています。

3年ほど看護師として従事した後、結婚を機に退職。看護師の仕事にやりがいを感じていましたが、家庭との両立は難しいという判断からでした。
退職後は公務員(行政職)として再出発しました。まったくの畑違いの仕事でしたが、若かったからでしょうか(笑)、すぐに慣れていったように思います。

3人の子供に恵まれ、仕事・家事・育児に追われる日々。毎年健康診断は受けていましたが、ある頃から血尿でひっかかるようになりました。しかし、近医で再検査すると「陰性」ということが何年か続き、一度腎臓内科のある病院を受診するも、血尿のみの所見のため「癌疑い」で造影CTを受け、結果「問題なし」。
「血尿が出やすい体質なのかな?」ぐらいに思っていました。本当はすでにIgA腎症の症状が出ていたのですね。


大学病院を勧められ、腎臓内科を受診

両足のひどい浮腫み

2011年の夏、両足のひどい浮腫みと体重増加があり、近医を受診。血尿、たんぱく尿、血圧上昇を指摘され、大学病院の受診を勧められました。
学生時代や妊娠中もたんぱく尿を指摘されたことがあり、健康に無駄に自信があったのと、昔の看護師の知識で「ちょっと疲れただけだろう。太り過ぎかな?」なんて軽く考えて、「3ヵ月後の人間ドックの結果で考えます」と答えました。結局人間ドックでも同じ所見で、特に尿たんぱくは【3+】に悪化。そこでも「大学病院の腎臓内科をすぐに受診してください」ときつく言われました。恥ずかしい話ですが、当時の私は泌尿器科と腎臓内科の区別がよくわかっていませんでした。看護師時代は、腎臓内科という診療科は聞いたことがなかったからです。それに「大学病院なんて大げさだな。待ち時間も長くて面倒だな」とさえ感じていました。忙しい毎日だったので、あの時のかなりきつい腎臓内科受診の指示がなかったら、中途半端な看護師の知識を盾に受診を先延ばしにして、取り返しのつかないことになっていたと思います。

2012年8月、大学病院で腎生検を受けました。この頃はたんぱく尿がさらに悪化し、3g/日を超えていました。尿たんぱく排泄量の多さに、担当医は膜性腎症を想定していたようです。またまた恥ずかしいことに、あまり重大なことと思っていなかった私。どこも痛くなく元気に仕事ができるから、「なにか薬でも飲めば治るのかな?」くらいに思っていました。

腎生検を受けて約2週間後、医師より確定診断の説明がありました。事前の電話連絡で、担当医から「ネット検索するなら、『IgA腎症』を調べてきてくださいね」と、何とも不思議なアドバイスを受けました。病名告知の前に、告知(仮)を受けてしまったわけです(笑)。
アドバイスのとおり、ネットで色々調べました。IgA腎症がかつては透析移行疾患第1位であったこともこの時初めて知り、「透析」の二文字が他人事ではなくなりました。
調べるほどに、今の腎臓の状況によって随分予後が変わってくることを理解しましたが、「自分はそこまで深刻な状況ではない」と妙な自信をまだ持っていました。

日本透析医学会「わが国の慢性透析療法の現況(2022年12月31日現在)」によると2011年以降は糖尿病性腎症が1位。


忘れられない記念日

病状説明当日、医師は私の糸球体の写真を見せながら、「これ、ダメ。これもダメ。これも……」と、つぶれた糸球体とまだかろうじて大丈夫な糸球体の写真を淡々と振り分けた後、「思っていたより、腎臓の損傷が重症です」との言葉。
私の甘い予想は打ち砕かれました。
尿に少し血液・たんぱくが混じっているだけだろうと思っていたのに、私の腎臓は既にかなりのダメージを受けていたのです。
医師の話は治療方法へと続き、扁桃腺摘出・ステロイドパルス療法の説明がありました。
事前にネットで調べていたため、すんなり受け入れることができました。医師は「私の腎臓の状態や年齢を考慮するとステロイドの3クール投与はしないかも…」と言いましたが、私は「ぜひとも3クールお願いします」とお願いしました。

寛解が期待できる時期(Point of no remission)は過ぎているとも言われました。20年後に透析に移行する確率は40%と説明されましたが、私にとっては受け入れがたい、高い率でした。
一番下の子はまだ小学生。「私、こんな病気に負けるわけにはいかないんです」と担当医に言うと、「そういう方は良い方向に向かうことが多いですよ」とにっこり。
治療方針が決まり、「絶対に透析を回避する!」と誓った日でした。
実はこの日は21回目の結婚記念日で、一緒に病状説明を聞いた夫とふたり、忘れられない記念日となったのでした。

IgA腎症の経過には、寛解が期待できる時期の終了地点「Point of no remission」と、進行遅延を目指す時期の終了地点「point of no slowing」という2つの重要なポイントがある。

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うめちゃん

うめちゃん
長崎市出身、現在は中四国エリア在住。母の入院時にお世話になった赤十字病院の看護師に感動し、看護師の道へ進む。結婚を機に現在の居住地へ転居。家庭との両立を考え、看護師の道を断念して、地方公務員(行政職)へ転職。家事・育児(3人の子)仕事の両立で慌ただしい日々を過ごしていた2012年、IgA腎症と診断される。扁桃腺摘出・パルス療法を受け、現在寛解状態を維持。2023年「腎臓病療養指導士」の資格を取得し、患者として看護師としていろんな思いを形にする方法を模索中。

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