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【第1話】腎臓病になって気づけた大切な繋がり ─IgA腎症から透析導入までの25年間─
2023.9.25
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私は現在65歳で、今年(2023年)の4月に透析を導入したばかりです。不安と分からないことばかりですが、病気や透析と向き合う、今のありのままの気持ちを書きます。私の体験が、誰かのお役に立てればうれしいです。
病気の判明と苦渋の決断
1993年から沖縄県那覇市で自分のブティックを経営していた私は、1997年、40歳の人間ドックで蛋白尿と血尿が検出され、精密検査を受けました。なかなか病名が付きませんでしたが、腎生検にてIgA腎症が判明しました。
腎臓病は痛みがなく、著しい症状が出ないため、当初は体を気遣いませんでした。展示会・仕入れなどで各地を飛び回り、休む間もなく働いていましたが、徐々に疲れやすくなり入退院を繰り返すようになりました。
2002年以降は店の規模を小さくしたり定休日を設けたり、できるだけ体を休める環境を心掛けました。しかし体調は段々と悪化し、2006年に主治医から「体を取るか、店を取るか」と二者択一を迫られ、店をたたむ決断を余儀なくされました。店舗を改装した矢先のことで随分悩みましたが、この時の決断が、透析開始時期を延ばすきっかけにもなりました。
店を畳むと時間に余裕ができ、それまで以上に食事管理を徹底しました。幸い料理が好きなので、色々な工夫をしながら美味しく食べながらの管理でした。この翌年に、扁桃腺摘出術とステロイドパルス療法を行った以降は血尿もなく、入院もしなくなり、比較的元気になってきました。
息子の言葉に背中を押されて…
仕事を辞めてしばらく経つと、社会との断絶を感じて孤独と不安にさいなまれ、部屋に閉じこもり泣いてばかりいました。いつもたくさんの人に囲まれて働いていたので、ギャップが大きかったのです。
そんな時、一人息子に「お母さん、なにやってるの、世界は広いんだよ! しっかりして! あの頃のお母さんは何処に行ったの?」と苦言を呈され、我に返りました。
それから、「やりたいことの中で、今の自分にできることリスト」をまとめ、そこから「メディカルアロマセラピスト」という資格を選び、勉強を始めました。
学校に行くのが楽しみで、講義の日は朝からワクワクしていたのを覚えています。
資格を取得し、アロマや生活雑貨のお店を立ち上げてからは、アロマ教室を開いたりせっけんの卸売をしたりする傍ら、経理や児童デイサービスの指導員など、掛け持ちですが無理のない短時間の仕事をしていました。
そんな中、母親の高齢化などの事情で故郷の宮崎に帰ることになりました。私は常に「人の役に立ちたい。病気の私でもできることはないだろうか」と自問していて、根本に「人を癒したい」という願いがあることに気付き、体に優しい無添加食材を使った沖縄料理の店を開きました。
2017年12月にオープンした店が軌道に乗り始めた翌年4月頃から再び体調が悪くなり、入院しました。主治医に「このまま店を続ければ、あと2年で透析になる」と言われ、ブティックの時と同じ選択となり、同年10月に閉店しました。それからは、体中心の生活に変え、透析を5年先に延ばすことができました。発症時は”透析まで15年”と言われましたが、トータルで25年に延ばすことが叶いました。
振り返れば、主治医の判断が私の人生のターニングポイントとなったように思います。
診察の際、病状だけでなく生活や仕事の話まで時間をかけて聞いてくれ、私の人生そのものと向き合ってくれた主治医との信頼関係があったからこそ、治療方針に従い、厳しい決断も受け入れることができました。
常に患者に寄り添う医師達に出会えたことに、感謝の気持ちでいっぱいです。
今の私を作っているのは、今までの出来事や出会い
「経験する出来事や人との出会いには意味があり、必然だ」という、沖縄でお世話になった主治医の話がずっと心に残っています。
これまで色々な経験をしましたが、振り返ると必要だったと思えることばかりです。そして、これまで出会った人達で、私の人生が作られて来たことがこの年になってよくわかります。1つ1つの出来事や出会いが全て点と点で繋がっていて、いいことも悪いことも、いや、悪いことの方が自分を成長させてくれたと思います。
2021年に参加した同窓会で、学生時代には交流のなかった同級生との接触で新型コロナウイルス感染症に感染しました。責任を感じた彼から連絡を受け、やり取りをするようになり、完治後にランチに行きました。その際、たまたま彼の血液検査結果を見て腎臓の数値が悪いことに気付いた私は、すぐに大きな病院に行くよう促しました。翌日、彼は私が通っている病院を受診し、即日入院することに。放置していたら命に関わる病気でした。幸い、手術をして難を逃れることができました。
彼と私は、昨年の12月に結婚しました。友達からは「コロナ婚」と言われています(笑)。その後、私は透析導入となり、今は彼に支えられて安心した生活を送っています。
私が腎臓病でなければ数値の異常に気づけませんでしたし、同じウイルスに感染しなければ彼と連絡をとることもきっとありませんでした。
出会いや出来事にはちゃんと意味があり、繋がっていることを実感した経験の一つです。
病気や辛いことがあると「どうして私ばっかり…」と打ちのめされそうになりますが、後になってそれは必要なことだったと気づけたり、逆に「できること」の有難さが分かったりします。
もう何年も、毎朝腎臓に「ありがとう」とお礼を言っています。感謝をすると、腎臓は応えてくれるような気がするのです。
現在、透析という時間に制約のある生活になったからこそ、大切に思えること、人の温かさなどを噛み締める時をいただいたと思います。
次回は、腎臓病の方にお勧めの簡単なアロマ活用法を紹介したいと思います。
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