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腎臓病(慢性腎臓病:CKD)・透析と正しく向き合い、知って、共感して、支え合って、自立する。
基礎知識やQ&Aコミュニティ、透析管理ツールやサポート情報など、元気に生活するためのすべてがここに。

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研究員のはなし(体験談)

2013.3.31

患者だったり、医療従事者だったり、
腎臓病・透析治療の当事者として関わるじんラボ研究員が、
等身大の言葉で語る体験談です。
「わかるわかる」、「こんなことがあるんだ」などと、
楽しくて、笑えて、ちょっと泣ける、そんな『はなし』を連載しています。

透析と我が人生

立山連峰40歳で初めて自らの腎臓の異常を知ったものの適切な手立てもなく、ただタンパク・塩分の食事制限と長い投薬の人生を過ごしてきましたが、高齢になるに伴い腎機能の低下から体調が悪化、もはや生と死の狭間とも思える時間に居た自分にとって透析以外の選択肢はありませんでした。しかし、透析によって体調の快復を実感し、生かされている喜びを感じるこの透析生活は、違和感の無い日常の姿となっています。新型コロナに感染するも事前の度重なるワクチン接種によりこうした基礎疾患のある高齢にも関わらず重症化せず後遺症もなく完治しました。今は、来年、傘寿(80歳)を無事迎えられることを願っています。

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重複障害と透析

ミーナ1990年9月生まれです。生まれつき、先天性緑内障という目の病を持っており、幼い頃から弱視で現在はほとんど見えていません。腎臓は2017年に急な体調不良から緊急透析導入となり、今に至ります。原因は不明です。視覚と腎臓の重複障害ですが、日々楽しく生活しています。
趣味は読書で、4時間の透析中に1〜3冊くらいは読んでしまうかなりヘビーな読書家です。

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元看護師の私とIgA腎症

うめちゃん長崎市出身、現在は中四国エリア在住。母の入院時にお世話になった赤十字病院の看護師に感動し、看護師の道へ進む。結婚を機に現在の居住地へ転居。家庭との両立を考え、看護師の道を断念して、地方公務員(行政職)へ転職。家事・育児(3人の子)仕事の両立で慌ただしい日々を過ごしていた2012年、IgA腎症と診断される。扁桃腺摘出・パルス療法を受け、現在寛解状態を維持。2023年「腎臓病療養指導士」の資格を取得し、患者として看護師としていろんな思いを形にする方法を模索中。

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安心して、幸せになれるから。

スーさん7歳小学校入学時の検尿で腎臓病がわかりその後アルポート症候群と診断される。17歳で血液透析を導入。17年の透析生活を経て34歳で献腎移植し現在48歳。3人の子供のお父ちゃんで仕事は臨床工学技士をしています。同じような病気の子供、その親御さんへ私の人生経験を読んで頂き少しでも何かのお役に立てればと思っております。

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管理栄養士の栄養サポート体験談~あるある話~

高山菜々子在宅訪問管理栄養士。
特別養護老人ホーム、病院勤務を経て、現在は腎臓病食サポート事業をしています。
病院勤務時代に、循環器と透析センターの担当で3000件以上の栄養指導をさせていただきました。透析患者様のご家族とお話しした時に、食事療法の混乱と、毎日の食事作りで疲弊した姿を目の当たりにしました。実際に料理を作る家族を応援したいと思い、病院を退職・独立して、家族全体をみてサポートする在宅訪問管理栄養士になりました。

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それでも、食事を楽しもう!

てぃこ40代。先天性の心臓疾患でゼロ歳よりペースメーカーを利用。幼少時、体育の授業は全て見学だった。20年の会社員生活を経て、現在はエステサロンを経営している。趣味は合気道と登山、旅行と食べること、腸内細菌を増やす菌活。
健康診断で脾腫と高値の自己抗体ANCAが見つかり、膠原病科で経過観察中の2023年、腎不全及び心不全・ネフローゼ症候群に。病名確定に2ヶ月かかり、患者数がとても少ない糸球体腎炎のひとつと診断される。現在、CKDステージ2。

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透析になって改めて知った食事の大切さ

美峰新潟県在住。透析3年目です。
栄養士の資格を取り、学校栄養士として働いていましたが、慢性腎炎が判明。地元で治療に専念する為に退職し全く違う仕事をしていましたが、両親の介護が続いて急激に悪化して2020年に透析になり、その仕事も退職。現在は食生活改善推進員や福祉ボランティアをしています。音楽が好きなのでピアノやドラムを習っています。

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生かされて、今

ファルコン1958年5月20日生まれ。息子が10か月の時に母子家庭になりました。ブティック経営を軌道に乗せ、病気一つせずアクティブに働いていましたが、40歳の人間ドッグでIgA腎症が判明。紆余曲折あった息子との二人三脚の生活ののち、息子のアメリカ留学中に倒れ、入院…それから、体優先の生活に切り替えましたが、2023年の4月に透析導入に至りました。
今は、自宅で縫物やアロマクラフト作りをして、ゆっくりと時間を過ごしています。

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みんな、旅してる?

銀次朗福岡県在住 透析歴6年目
2013年に急性心筋梗塞から一命をとりとめ、2018年から透析を開始。週3回4時間透析をしています。
旅行・ドライブが大好き、年間1万5000キロ走っています。音楽を聴くのも好きで、ライブは200回以上参加しています。

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透析から移植、そしてオストメイトになった私の体験談

K.F10歳で腎不全と診断され、13歳から約8年の腹膜透析の後、21歳で母親から生体腎移植を受けました。腎移植後のトラブル(膀胱直腸瘻)によりオストメイトでもあります。2021年3月、移植腎の機能が低下して血液透析をスタートしましたが、テレワークでの仕事と透析の生活にも慣れ、精神的・体力的にも余裕が出てきたのを機会に、体験談を寄せる決意をしました。

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透析と妊娠・出産

ある日突然視界がおかしくなり腎臓病と診断された妻と、会社の健康診断がきっかけで腎臓機能の低下が判明した私。数年後に夫婦そろって透析を受けることになりました。
悩むことはたくさんありましたが、こんな不幸な夫婦でも子どもをもうけることができました。当時の様子や気持ちを体験談に書き、どなたかの参考になりましたら幸いです。

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わたしとの対話~わたしの道しるべ

もあぞう小学3年生で透析導入し、中学1年で献腎移植を東京で受ける。移植後10年で透析再導入になり今年で25年。自分がされて嬉しかったことを患者さんにしてあげたいと看護師の資格を取得。
2002年詩集『ぞうに咲くひまわり』、2012年絵本『もあのきもち』、2014年詩集『ぞうの恩送り』書籍出版。看護師として働いたのち、現在会社員。余暇はペーパークイリング、自然を眺めたりしながら、創作活動に励んでいる。

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透析と視覚障害

ミーナ1990年9月生まれです。生まれつき、先天性緑内障という目の病を持っており、幼い頃から弱視で現在はほとんど見えていません。腎臓は2017年に急な体調不良から緊急透析導入となり、今に至ります。原因は不明です。視覚と腎臓の重複障害ですが、日々楽しく生活しています。
趣味は読書で、4時間の透析中に1〜3冊くらいは読んでしまうかなりヘビーな読書家です。

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遅咲きボクサーの闘病記〜透析を受け止め、前を向くまで

53歳。30代の頃から糖尿病を発症。軽度の脳梗塞を経て2018年より血液透析を導入しました。私はボクシングをやってきて20代後半の頃に現役で4試合。40代に入ってシニアの大会で6試合やりました。『諦める』『受け止める』『前に進む』様々な感情を文章にできればと思います。宜しくお願いします。

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管理栄養士である私が、透析患者になった

もみじ福島県出身。1982年、女子栄養大学卒業。管理栄養士。結婚し子育てしながらでも働ける公務員を目指し、東京都台東区に就職、保健所管理栄養士として着任。子どもから高齢者まであらゆる世代を対象とする地域保健の第一線において栄養相談や講習会などを通して、人々の食生活改善に尽力を注ぐも2000年に透析導入。週3回4時間の夜間透析をしながら37年間常勤として勤務。2019年退職。

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透析から移植へ 〜戦いは終わらない〜

OZMA(オズマ)1961年2月生まれ。
59歳。埼玉県所沢市出身、札幌市在住。
糖尿病性腎症で54歳に透析導入。2年2ヵ月後、妻から腎臓移植。
仕事は、外資系製薬会社に13年勤務、営業、管理薬剤師、開発、広報などを経て1998年より薬剤師として勤務。2001年に独立して薬局経営。現在、新しい薬局の開設準備中。

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私は諦めない~障害と難病が教えてくれたこと~

徳井希望1982年11月生まれの37才、兵庫県在住。
34才で発達障害(自閉症スペクトラム障害、注意欠如・多動症)、36才の昨夏にIgA腎症(保存期)と診断される。
趣味は水泳、読書、ライブ&ドラマ鑑賞、ピアノ。特技はピアノ演奏。
現在は障害者雇用で雑貨店の販売員として働きながら、公務員と作家を目指して奮闘中の日々を送っている。

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寛容な心で普通に生きよう!

あ~ちゃん千葉県在住53歳女性です。3歳より腎臓病を患い、5歳でIgA腎症と診断されました。27歳で透析導入、29歳で母親から生体腎移植、30歳で結婚、32歳で長男出産、37歳で透析再導入し15年が過ぎました。
現在は週3回6時間透析を受けています。不定期ですが派遣の仕事や、趣味のガ―デニング、ばら園でのボランティア活動などをしています。息子が成人した今は、自分の将来や老後の在り方などを考えるようになりました。

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重複障害者からの福祉サービスへの願い

ミーナ1990年9月生まれです。生まれつき、先天性緑内障という目の病を持っており、幼い頃から弱視で現在はほとんど見えていません。腎臓は2017年に急な体調不良から緊急透析導入となり、今に至ります。原因は不明です。視覚と腎臓の重複障害ですが、日々楽しく生活しています。
趣味は読書で、4時間の透析中に1〜3冊くらいは読んでしまうかなりヘビーな読書家です。

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ありのままを受け入れ、「お陰様で」の精神を忘れず、目標をもって生きる

たいしょう1972年2月24日生まれの46歳。奈良県奈良市在住で、約3年前に糖尿病性腎症を発症し、透析導入。小さいころからスポーツが大好きで水泳、剣道、相撲、アメリカンフットボールなどをしていました。40歳を超えたぐらいから疲れやすい身体になり、感染病なども発症していました。透析導入後の1年間は身体がなじむまで大変でしたが、今は安定した透析ライフを楽しんでいます。
仕事は退職してしまいましたが、持ち前の明るさで家族や周囲の方々の協力のもと、趣味や日記などのライフワークを中心に前向きに頑張っています。

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私の腎臓日記

小沢里央私は移植と透析の両方を体験しています。
生後7カ月の時に腎臓が悪いことが発覚。徐々に悪くなり中学2年のとき生体腎移植を受けました。その25年後には透析をしなければならなくなり、透析を始めて4年が経ちました。今は週3日5時間透析を受けています。
お花が好きなのでフラワーアレンジメント教室へ通ったり、旅行をするなどして毎日過ごしています。
これから私の日記を開いてお見せしていきたいと思います。

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私は蘇る

天野 心現在、腹膜透析で治療中。過去は、血液透析、生体腎移植を体験しました。
この間に子供を2人授かりました。そして今…。

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明日へつながるチャレンジ〜あきこの体験記〜

あきこ静岡県在住。
2017年10月現在、腹膜透析1年10ヶ月。
私は透析以外に視覚障害があります。
この体験談を読んでいただいた方、そしてその方とつながるすべての方に少しでも希望の光が届きますように、視覚障害があっても少しの可能性を信じてチャレンジを続けています。

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前だけを向いて、たまに立ち止まって、また歩きだす

伊東ひろみ1979年10月生まれの37歳(2017年4月現在)。 順風満帆な人生から一転、2012年秋くらいから体調が悪くなり、2013年3月にネフローゼ症候群と診断され、即入院、即透析となりました。
2014年12月に母から腎臓を提供してもらい、腎移植。現在に至ります。
私の体験や思いなどを紹介させていただけることに感謝申し上げます。

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エピソードからの学び

松岡由美子上野透析クリニックで看護師をしています。
患者さんとお話する機会が少ない手術室から、存分にお話ができる透析室に移動し28年が過ぎました。皆さんから怒られ、教えられ、支えられたお陰で今も続けることが出来ています。これからも皆さんと透析室で幸せの種をまき合い、一緒に良い時間を過ごしていきたいと思っています。

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生活の“可能性”を広げよう

よっしー岩手県生まれです。小学生の時にIgA腎症と言われてから腎臓病と付き合ってきました。23歳、大学卒業と同時に透析導入しました。
仕事は大学で技官として学生さんの指導に当たっています。
透析は火曜コースの夜間です。旅行が趣味で実益とかねて日本全国、最近は海外にも出かけています。

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生かされている喜び 〜さまざまな方のお陰で透析を続けられ感謝〜

オガタトオル透析歴19年になります。普段はサラリーマンをしながら、月、木、土の夕方から6時間の透析を受けています。 透析を始めてからボケ防止のためにピアノを始めて13年(バイエル終了)。少し間をおいて、ボーカル始めて3年目です。 仕事以外に気分転換を、と好きな音楽を続けています。
家族は、家内と娘の3人です。娘が2歳の時に透析を導入となりましたが、来年就職です。昨年娘が運転免許を取得したので、30年近くのレンタカー生活に終止符を打ち、娘名義で車を購入します。家に車がきます。わくわくしています。
透析でつい億劫になってしまう旅行にも、久々に行こうかと思っています。

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夫婦間生体腎移植 〜繋がる想い〜

横山真三26歳で透析導入となり途中腹膜透析(CAPD)も経験しました。CAPDもノントラブルで経過しましたが、腹膜を守るために8年で終了し再びHDへ。縁あって透析室の看護師さんと結婚して17年間、妻からは常に腎臓提供を申し出てくれていましたが、妻の体にメスを入れることなど考えられず、気持ちだけもらっていました。
そんなある日「この方たちなら妻を任せることができる! 」という心から信頼できる先生方との出会いに恵まれ「夫婦間生体腎移植」へ踏切ました。現在移植後4年を順調に経過しています。

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多発性嚢胞腎体験記

関矢武明1999年3月21日の春分の日にくも膜下出血の一次破裂が分からず入院。精密検査で大騒ぎ中の腹部エコーで多発性嚢胞腎が発見されそれ以来闘病しています。多発性嚢胞腎は遺伝の場合が大多数ですが、私の周りの親族には多発性嚢胞腎患者が存在せず、くも膜下出血と多発性嚢胞腎が分かるのに時間がかかり、発見がもう1日遅かったら死んでいたと言われました。
多発性嚢胞腎の保存期は2005年の2月3日までの約6年間で、嚢胞感染のため腎機能が一気に低下し2005年2月4日より血液透析導入しました。
現在日中はサラリーマンをしていて、月水金の夜間透析をしながら闘病生活を送っています。

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透析女子のリアルな日常 〜若くったって、いいじゃない〜

びょん1991年岩手県生まれ。岩手県在住。
生まれてまもなく先天性ネフローゼ症候群と診断され腹膜透析治療を開始し、2才半の時に母より生体腎移植を受けました。
1994年春、左腎に腫瘍が見つかり(ウイルムス腫瘍)、摘出しました。
23歳から血液透析導入になり現在に至ります。
特技はパソコンのキーボードのタイピング。運動は苦手、読書が好きなインドア派ですが、最近の休日は腎友会青年部の仲間といろいろなところへ出かけることが多いです。透析は火曜コースの午後です。
今の目標は一人暮らしできるようになることです。

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腎不全にうまれて〜腹膜透析から移植、血液透析導入まで〜

びょん1991年岩手県生まれ。岩手県在住。
生まれてまもなく先天性ネフローゼ症候群と診断され腹膜透析治療を開始し、2才半の時に母より生体腎移植を受けました。
1994年春、左腎に腫瘍が見つかり(ウイルムス腫瘍)、摘出しました。
23歳から血液透析導入になり現在に至ります。
特技はパソコンのキーボードのタイピング。運動は苦手、読書が好きなインドア派ですが、最近の休日は腎友会青年部の仲間といろいろなところへ出かけることが多いです。透析は火曜コースの午後です。
今の目標は一人暮らしできるようになることです。

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Oruka’s roomへようこそ!

オルカ30代前半で透析導入して、透析中に読んだ本がきっかけで心理カウンセラーを目指し39歳で一念発起。
再び高校へ通い心理系の大学を卒業した後、カウンセラー養成講座を経て49歳のときに念願のカウンセリングルームOruka’s roomを開設しました。ブログを書いてます。

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ゆっくりと、前向きに

宮本研医師15年目になりました。民間病院の透析医と製薬・ヘルスケア関連のコンサルタントを兼務しています。病院で白衣を着ているときも、講演中にスーツを着ているときも、色々な気持ちや出来事と向き合っています。
大学医局に所属する腎臓&透析専門医ですが、学術研究よりはもっぱら医療現場での実践に励む日々です。

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我が家の透析導入と海外透析

ミヨシ埼玉県在住。1974年生まれの主人が2007年6月8日に血液透析を導入しました。快適な毎日が送れるように試行錯誤の日々です。
外国へ渡航する際に不安で苦労した実体験を基に透析が必要な方とご家族のお手伝いができればと《海外透析予約代行「えがお」》を2009年に立ち上げました。

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ここまで出来た 腎臓病患者の仕事(移植者編)

ある1967年 宮城県仙台市生まれ。
小学1年生時の健康診断にて蛋白尿が出ている事が分かり、経過観察。中学1年生で蛋白尿が+3になる。高校3年生時に腎生検を行い、巣状糸球体硬化症(FGS)と診断され、そのままステロイドのパルス治療を行うが効果がなく、経過観察を続ける。大学3年生の時に透析導入。透析治療を受けながら就職活動を行い、電気メーカーへ就職。3年後に母親をドナーとして生体腎移植を実施。
2013年4月で移植後18年となる。

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4つのステージ〜笑顔と涙と闘いと〜

はこ治らない病気の存在をまだ知らなかった10歳でIDDMを発症し、30年近く経って透析を導入しました。ひそかにインスリン50年賞を狙っていたのですが、ある日突然膵腎同時移植の順番が…11年の透析生活では透析条件でかなり苦悩しましたが、人に恵まれてなんとか過ごすことができました。
今は移植した臓器と末永く歩いて行けるように頑張っています。

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日々精進なのですっ☆

りんご大学病院→中規模地域中核病院を経て現在透析看護に本格的に携わることを夢見て奔走中。趣味はマラソンと俳句とアート鑑賞。
所長との出会いから腎臓疾患には何かと御縁があり、看護を続けるなら「腎」だなと感じるようになりました。
人とのつながりを大切にし、疾患とともに歩む患者さんの透析ライフを応援したいと考えています。
まだまだ勉強中の身ですが、どうぞよろしくお願いいたします。

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透析患者•よしいなをきの日常生活

よしいなをき透析はしていますが普段はスポーツ自転車に乗って 体を鍛えています。
仕事は、平凡なサラリーマンですが、透析の時間を利用して、ブログを書いたり、小説を書いたりしています。

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昔を学び 今を見つめ 未来を語ろう!

世界的に有名なビートルズがレコードデビューした翌日に、私もこの世にデビュー。
身体は小さいけれど、態度はデカイ。四角い部屋を丸く掃く大雑把なO型。小学6年生で男の子達と野球に明け暮れる中、突然の透析導入となり、気がつけば歴40年を目前に。
歳を重ねても、資質のおきゃんは留まること無く、車好きはあと北海道と沖縄を走行すれば全国制覇。精神統一も兼ねてライフル射撃を楽しみ《総てにおいて、最後まで現役で》を座右の銘に、今日も行く。

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旅に出ませんか?

まくまくたけちゃん1964年生まれ。東京在住。原疾患:腎硬化症。透析歴7年。職業:フリーカメラマン。
最近になってようやく一部の方々に認知され始めた高効率透析を目指して試行錯誤中。
趣味は、クラシックバレエ、コンテンポラリーダンス、オペラ、ミュージカル、オーケストラ等の鑑賞。仕事は、これらの写真撮影をすること。その関係で、日本全国をはじめ、たまーに欧米へも現地取材を敢行。国内、海外旅行も好き。(最近では、趣味なのか仕事なのかごっちゃになっているかもしれない部分もあります)透析者の現在では必然的に国内外を問わず旅行臨時透析が必須なのが現状です。
次回は、4月にウィーンへ撮影に赴く予定。最新のヨーロッパの透析事情もご紹介出来るかも。

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