4331

kf

with Kidney プロジェクト

[ 新規会員登録(無料)] または [ ログイン ]

腎臓病(慢性腎臓病:CKD)・透析と正しく向き合い、知って、共感して、支え合って、自立する。
基礎知識やQ&Aコミュニティ、透析管理ツールやサポート情報など、元気に生活するためのすべてがここに。

新規会員登録(無料)

透析から移植、そしてオストメイトになった私の体験談

【第7話】現実を受け入れることで開かれた扉

2023.7.10

文:K.F

緑の文字の用語をクリックすると用語解説ページに移動するよ。

じんラボ をフォローして最新情報をチェック!

イメージ

腎臓移植後に膀胱直腸瘻が判明、手術と入退院の日々を乗り越え、人工肛門と尿管皮膚瘻のダブルストーマでの日常生活が始まりました。


ストーマの閉鎖を目指して

約1年5カ月にわたる膀胱直腸瘻の治療・入院生活を終えてからの日常生活は、やはりダブルストーマの管理、特に尿管皮膚瘻の管理に苦労し、度重なるパウチからの尿漏れは精神的ダメージが大きいものでした。しかし一方で「これは一時的なもので、いつかはやめられる」という思いもあり、あまり悲観的にならないように心がけていました。
退院からしばらくの間は体調が安定していて、長い入院生活を終えた解放感も手伝って、次の段階(=ダブルストーマをいつ閉じるのか)についてはあまり考えず、ごく普通の日常生活を楽しむことを優先していました。そして退院から1年半程経過した頃、使っていない膀胱・直腸の状態を診るために検査入院をすることになりました。

検査の結果、最初に造設した人工肛門(第4話参照)を閉じようという話になりました。これは前話で触れましたが、2001年5月の手術で人工肛門を別の場所に造り変えたので、最初に造ったものはそのまま放置されていたのです。
まずここを閉じて様子を見て、トラブルが起きなければ、現在使っている人工肛門も閉じようという計画です。

そして2003年8月、放置されていた人工肛門を閉じる手術を受けました。結果は成功、手術前の懸念材料であった癒着の度合いも軽く済みました。そして、手術で閉じた部位の状況を調べるため、同じ年の年末に造影検査を受けました。
ところが、この検査で使用した造影剤が体内に漏れるトラブルが発生したのです。
消化器外科の医師からは、「造影剤ですら漏れてしまうようでは、実際に人工肛門を閉じて便が通過するようになった時に同じようなことが起こり、今度は命に関わる問題になる。今の状況では次の手術は考えられないので、もう少し時間がほしい。この後何のトラブルも起きなければ、次の手術も考えられるが……」と説明されました。

様子見の生活を送っていた2004年の年末、発熱と倦怠感に襲われるようになりました。検査の結果、以前ほど酷くはないが体内に小さい膿瘍がいくつかできており、造影検査で体内に漏れた造影剤が少なからず影響しているだろうとのことでした。これに関しては、入院はしたものの手術はせず、針刺しと抗生物質で抑え込むことができました。しかしこのトラブル発生により、人工肛門を閉じる話は遅々として進まなくなりました。


新たな手術の前に挑んだこと

この頃になると、命を危険に晒してまで人工肛門を閉じる必要性を感じなくなり、代わりにもうひとつのストーマである尿管皮膚瘻を閉じた方が日常生活も楽になると考え、その旨を主治医に相談しました。
主治医は、「尿管皮膚瘻を造設して膀胱を使わない状態にしてから5年程経過していて、膀胱の状態はこの先良くも悪くもならない。これ以上先延ばしする意味は無いので、K.Fさんの良いタイミングで手術をしても良い」と言ってくれました。ただ、この手術もそう簡単ではないことを付け加えられたのは言うまでもありません。

そこで私は、20代の頃合格できなかった建築士試験にもう一度挑戦し、結果が出てから手術を受けることにしたのです。建築士の試験は筆記試験と設計製図の実技試験があり、筆記試験は合格したものの、実技試験は残念ながら不合格でした。しかしどのような結果になっても手術を受ける時期を変えるつもりは全くなかったので、結果は結果として受け止め、気持ちを手術の方向へ切り替えて行きました。

尿管皮膚瘻を閉じる手術は2007年1月に決まり、主治医からは「成功率は50%だが、やってみる価値はある手術だ」ということと、「仮に成功したとしても、退院して日常生活に戻るまで幾つかの難関をクリアしなければならない」という説明を受けました。過去に何度か手術を経験してきましたが、医師の説明を聞いて手術に対する恐怖心が芽生えたのはこれが初めてでした。


現実を受け入れることで開かれた扉

手術の結果は、失敗でした。
しかし、麻酔から醒めかけの状態でこの結果を知った時、何故か霧が晴れるようにスッキリした気持ちになりました。
ダブルストーマになって以来抱え続けていた、「いつ手術で閉じるのか?」「この状況で就職できるのか?」などのいくつかの悩み。永久的ストーマという現実を受け入れれば、それらの悩みから解放されると思えたからです。

この入院と手術をきっかけに、あらゆることに積極的になり、この年の6月には初めての就職でシフト制の週3~4日勤務を経験しました。並行して、建築士試験にもう一度挑戦し、ついに合格することができました。この時30歳。最初の受験から9年、4度目の挑戦での合格でした。そして、以前から建築関係の仕事に就くことを目標にしていた私は、この後2回の転職を経て現在の職場である大手ゼネコンに、障害者雇用ではありますが就職することができました。
今にして思えば、尿管皮膚瘻を閉じる手術は失敗という結果に終わりましたが、あの出来事が現実を受け入れるきっかけになり、その後の人生が開けたように思えます。

◀前の はなし 次の はなし▶

この記事はどうでしたか?


  • 記事のクリップ機能を使うには会員登録が必要です
K.F

K.F
10歳で腎不全と診断され、13歳から約8年の腹膜透析の後、21歳で母親から生体腎移植を受けました。腎移植後のトラブル(膀胱直腸瘻)によりオストメイトでもあります。2021年3月、移植腎の機能が低下して血液透析をスタートしましたが、テレワークでの仕事と透析の生活にも慣れ、精神的・体力的にも余裕が出てきたのを機会に、体験談を寄せる決意をしました。

    こんな体験談が読みたい、私も体験談を書きたいなど、「研究員のはなし」にご意見をお寄せください!

    ご意見をお寄せください

    PR

    透析ライフガイドブック「患者がつくった透析のほん」

    →透析ライフガイドブック「患者がつくった透析のほん」 とは

    この"ほん"をご希望の方

    以下のボタンから申込フォームにお進みください。
    【New!】個人の方向けにkindle(電子書籍)版をご用意しました。
    冊子版をご希望の方はかかりつけの医療施設にお問合せください。


    申込フォームに移動します


    Amazonに移動します

    この"ほん"を手にされた方

    ご感想やご要望をお寄せください!!
    続編の希望などもあれば教えてください。

    じんラボを応援してください!