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透析から移植へ 〜戦いは終わらない〜

【第1話】あっと言う間の透析導入と受け入れる心理

2020.9.28

文:OZMA(オズマ)

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2015年、体調が悪化

お盆の2015年8月14日、身体が悲鳴をあげた。

少し前から体調は悪かったが、この日は苦しくて眠れなかった。上を向くとさらに苦しく、仰向けに寝ることができない。

唯一うつ伏せになると少し休めた。妻が心配してかけた「救急車呼ぶ?」という言葉に「とんでもない、仕事を休める訳がない」と思った。しかし、次の日も当然眠れなかった。食欲が落ちていて、うどんやゼリー、とろろなどツルッと喉を通る物しか食べられない。
週が明ければ仕事が始まる。休む訳にはいかない。何とか良くならないかと悶々として過ごした。

週が明け、17日になった。体調は変わらず、仕事どころではなかった。午前9時を待って知り合いの呼吸器科に連絡すると、「すぐに来なさい」とのことだった。

ベットから起きると激しいめまいが襲った。それでもシャワーを浴びたのを覚えている。今思えばどうかしている。

階段を休み休み降りてタクシーに乗り、病院へ向かった。病院に着いて酸素飽和度を測ると70%(93%以下で「呼吸不全」)しかなかった。まず点滴治療を開始するも、1時間経っても酸素飽和度改善しない。私は「早く良くならないかな?」とまだ呑気に構えていたが、その時先生から「呼吸器ではない。救急車を呼ぶから違う病院へ行って」と言われた。

「まさか入院? 仕事があるから無理です」と先生に言ったが、「とりあえず」と諭され救急車へ向かった。怪我で救急車は何度か乗っているが、またお世話になってしまった。

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先生からの救急隊員へのしっかりとした申し送りに加えて受け先の病院が手配済だったため、すんなりと出発した。救急車のベットに寝ながら「娘が小さいころ救急車呼んだなぁ」なんて思ってるうちに病院に到着。救急の処置室に運ばれCTと血液検査を受ける。CT検査では苦しくて呼吸を止められない。検査技師さんから「息を止めなくていいですよ」と言われホッとしたが、検査室にいた研修医が「心不全じゃありません?」と叫ぶ。心不全? そんなバカな!


あっと言う間の透析導入

何とかCT検査を終えて処置室へ戻った。血液検査の結果、クレアチニン(Cr)14mg/dL、尿素窒素(BUN)70mg/dL、血糖値441mg/dLと告げられ、「緊急透析を行います」と宣告された。
考えがまとまらないうちに、循環器の先生達に首の静脈に針を刺されICUに運ばれた。24時間持続透析の開始である。残念ながらICUでの記憶は断片的だ。看護師さんに水を飲みたいと言ったら、わずか30mLの水を渡されて「1日500mLに制限します」と言われた。歯磨きの時の水をどれほど飲みたかったか。
ICU1日目の夜中は、背中が痛くて看護師さんがずっと背中をさすってくれた。まさに天使に見えた。

ICUでは毎日の看護師の申し送りを必死に聞いていた。血液を引くスピードやカリウムの量などを毎回引継ぎする。大変な重労働で、緊張感も半端ないと思った。

ICU5日目で初めてベッドから降りた。入院前は90kgくらいあった体重が5日で78kgまで落ちた。身体に溜まった水はなんと12kgだった。まさに溺れていた。
6日目にICUから一般病棟に移り、維持透析が始まった。いきなりの透析導入だったので、何も考えず命をつなぐことのみを考えていた1か月間であった。


慢性腎不全の予兆

今にして思えば、腎不全の予兆はあった気がする。私の職業は薬剤師なのだが、それにも関わらず何故? と思われるかもしれないが、今後のためにも話しておこうと思う。

1年前の夏。ゴルフで歩くスピードが遅くなり皆に着いていけない。
→ 加齢かな? と思っていた。
2年間くらいは土日に寝てばかりいた。
→ 仕事が大変で疲れがたまっていると考えた。
昼間は尿がたくさん出た。しかしお酒を飲むとピタリと止まった。
→ 人から指摘された。
3年前に転んでスネに傷がつき蜂窩織炎(ほうかしきえん)になった。
→ 傷が治ったあとステロイド軟膏を付近に塗っていたため免疫力が落ち蜂窩織炎になったと理解した。
身体に湿疹がないのに、足の指などが無性に痒くなった。
→ 特に気にとめなかった。
鏡で顔を見て青白く感じた。
→ もともと日に焼けていて地黒なのでさほど気にならなかった。

など(時系列的ではないが)。
何故気が付かなかったんだろう。自戒を込めて振り返ってみた。


透析を受け入れる心理

維持透析は、最初は4時間、夜間8時間透析、のちに5時間透析を経験し、その後に腎臓移植までした。維持透析は最短でも通院時間、穿刺待ち、止血、前後の着替え等で6時間はゆうに超える。薬剤師をしながらの透析だったため、透析以外の時間が疎ましく感じた。皆さんそうだと思う。

まず治療に専念する前に片付け無ければならないことはたくさんあった。仕事との時間のやり繰り、家族との時間の過ごし方、また住宅ローンや生活費、学費などの金銭面。また障害者となり受けられる社会保障など、考えなければいけないことは山積みだった。

誰も教えてくれないので、ネットで調べて全力でさまざまなことを処理していった。そこで考える。何故このようになってしまったんだろう? 透析をすることは人生に最初から組込まれていたのか? 遺伝なのか? 自業自得なのか?

20年ほど札幌に住んでいるが、面白い表現がある。
「このボールペン書かさんない」
これは「自分は書きたいのだけど、ボールペンの不具合で書くことかできない。自分は悪くない」という意味で、究極の責任転嫁でないかと思う。

人は理由をつけ、悪く言えば言い訳をして納得することがある。例えばゴルフでミスショットをした時、「最近、足が痛くて」とか。
しかし透析導入なんて、そんな簡単に理由付けができない。ではどう受け入れるんだろう。

『愛燦燦』という歌が車のラジオから流れてきた。歌詞の中に「わずかばかりの運の悪さを、恨んだりして〜」とあった。まてよ俺は透析になり運が悪いのか?

透析導入には人それぞれの背景がある。そして受け入れ方も人それぞれ。正解はない。
しかし、いろいろな人の経験を見聞するのは必要であると思う。

サビの最後に「人生って不思議なものですね」とある。人は一人で生を受け、一人で人生を終える。透析を恨んでも仕方ない。この状況を目一杯楽しもう。楽しむ事で人生を面白くしよう。これが私の答えであった。

次回は、「透析患者の考えと医療関係者の考えの違い」と題して、透析中に患者として何を考えていたか?医療関係者とのギャップなどをお伝えします。

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OZMA(オズマ)

OZMA(オズマ)
1961年2月生まれ。
59歳。埼玉県所沢市出身、札幌市在住。
糖尿病性腎症で54歳に透析導入。2年2ヵ月後、妻から腎臓移植。
仕事は、外資系製薬会社に13年勤務、営業、管理薬剤師、開発、広報などを経て1998年より薬剤師として勤務。2001年に独立して薬局経営。現在、新しい薬局の開設準備中。

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